飯田 真輝氏 「松本山雅FC Community Bond Builder(CB²)」就任のお知らせ
このたび、松本山雅FCでは、2010~2019の10シーズン、トップチームの選手として活躍し、2021シーズンをもってプロサッカー選手としての現役を引退された飯田真輝氏が「松本山雅FC Community Bond Builder(CB²)※1」に就任することになりましたので、お知らせいたします。
(※1)読み仮名は【シービーツー】
【松本山雅FC Community Bond Builder(CB²)の役割】
松本山雅FCのこの地域における存在意義をあらためて確認し、2010シーズンから松本山雅FCと共に歩んできた飯田氏の経験を活かし、地域とクラブのつながりをより強めていく役割を期待し新設いたしました。
具体的な職務内容として、普及(スクール)育成事業、スポーツクラブ事業、ホームタウン活動、またそれに付随する営業活動、地域既存団体との連携活動、松本山雅FCホームゲーム等に、松本山雅FCの顔として参加します。
上記の活動を通じて、サッカーをはじめとするスポーツの普及、選手の育成、クラブのコミュニティ機能の向上・充実。そして、地域と共に歩む松本山雅FCの歴史や在りかた、ミッション・ビジョンを多くの方々と共有することを期待しています。
■飯田 真輝氏のコメント
「まずはじめに、これまで松本山雅を支えその未来に尽力されてきた全ての方に感謝したいと思います。個人的にも、在籍中から今に至るまで山雅の未来と私自身の未来が良い関係で交わるようにご指導、そして引退を伝えた私に第2のサッカー人生をはじめる場をつくってくださったチーム関係者の方々に感謝したいと思います。ありがとうございました。
本当は今回も動画で話そうと考えていたのですが。それを文字にして表現してしまったので長くなり申し訳ございません。出来るだけ私の想いが曲がって伝わらないようにしましたのでお付き合いください。
銀魂が終わり、いつの間にか歳下になっていたシンジ君がとうとう美月も祝福するくらいのグッドエンドに辿り着き、私のサッカー選手人生も終わりを迎えました。
だが、私のサッカー人生は続く。プロとはなにかを教えてくれたあの素晴らしい作品がスタッフに受け継がれていくように私にもいろいろな方から受け継がれてきたものがあります。
2010年からの10シーズン。外から見ることになった2020、21年シーズン、松本山雅を中からも外からも見ることで感じることがありました。チームの結果が出ていないことはもちろん。当時息子はあんまり喋ることはできなかったのですが、緑の物を見るたびにパパ!と言いその度にもう「パパは緑のチームじゃなくなったんだよ」って説明している自分に対しても。だからこそどんな形であれ、力になりたかった。
ただ2017シーズンくらいから加藤さんに未来を考えた時にこのまま松本に居続けるより、松本を離れいろいろな経験をすることが私個人にも松本山雅にとっても幸せになれることなのではないかと厳しくも愛のある言葉を頂いていた私は、その未来に向かって進むことができました。言葉だけではなく、松本を離れても私の動向を気にしてくれ。
だからこそ今回引退すると伝えた私にこのような話をいただけたのだと思います。なので今の私は松本に居続けただろう自分よりもサッカー人として成長できたと確信していますし、その経験を松本に還元できる。心から1度松本を離れてよかったと思えることができています。
まだ私自身現役でやれるコンディションにあると考えていますしやれる自信も、やりたい気持ちもない訳ではありません。ただ私自身が胸を張ってプロサッカー選手だと名乗れる存在かどうかに疑問を持ってしまったこと。
そして今のコンディションは次の世代に、より多くのものを伝える為に使うべきではないのか。ピッチで実践しながら伝えられるのではないかと考え引退を決断しました。
今回CB²に就任させてもらいますが、松本山雅の未来を考えている方々の気持ち、そして今まで松本山雅と共に闘ってきた方々の気持ちを直接ないし間接的に次の世代に伝えていくのがCB²の1番の目標だと思います。松本の地に来てから今に至る12年の総ての経験を活かしその目標に進んでいくことが私の使命だと思っています。
もちろんコロナ禍でハードルは高いですがCB²に就任した私は3つの目標をもっています。
1つ目はやはり、より多く地域の方々とコミュニケーションをとること。出来るだけ多く皆さんの前に立ち、会話や対話ができたらと思います。サッカーに限らずスポーツの素晴らしさを伝えること、少しでも松本山雅を愛し応援したいと思ってもらえる人の輪を広げるようにすること。
そして、私の主観ですが昨年見た景色は私の愛したサンプロアルウィンではありませんでした。チームは支え、支えられて結果が出ると思います。私自身ピッチに立つ誇らしさも、ピッチに立つことはできない立場の仲間の、結果の出ないもどかしさも経験したので。ピッチに立てないもどかしい、それでも松本山雅を愛し、応援している仲間の言葉を出来るだけ多く選手に伝えること、それによって全力でスタンドやテレビの前で選手とひとつになって闘っていただけたら。そして私が皆さんとコミュニケーションをとることによってピッチに立つ選手が地域を代表して闘うことに誇りと自信をもち、最高の仲間達と夢を叶えることだけに集中できる、そんなサンプロアルウィンにしていけたらと想うからです。
2つ目は私自身を使ったサッカーの普及活動ができればと思っています。松本山雅スクール、アカデミーはもちろん。それ以外の場所でも短期、中期的に信州のサッカーチーム、例えばですが中学校、高校のサッカー部などに指導者として教えに行くのではなく、1人の選手として同じ目線で参加できたらと考えています。もちろん実現にはいろいろなステップが必要になると思いますが、子どもたちが呼んでほしい、保護者の方が呼んでほしい、そういうアプローチであれば実現できると思います。子どもたちの思い出づくりになったらそれは凄く嬉しいですし、私自身と本気で闘うことでサッカーの楽しさや厳しさを肌で感じてくれ、少しでも多くの子どもたちが夢を持つことの大切さ、その先に本気でサッカー選手になりたいと思ってくれたら、信州のサッカーがもっと発展していくのではないかと思っているからです。
3つ目はDF、特にCBに特化した育成をしていけたらと思っています。私の今までの経験から、キーパー、ストライカーコーチだけではなくCBにも育成年代から専門的な知識と技術を習得することが必要であると感じています。座学として改めてCB、そして育成年代の発育発達を学習し、そこに今までの私の経験を加えることで、各年代に合ったものを少しずつ積み上げていけるようなカリキュラムを作っていけるのではないかと準備しています。田中隼磨選手のような信州を代表して闘う誇りとプライドを持った、松田直樹選手のような魂と闘争心を持った、松本山雅の象徴になれる選手を育成できたらと思います。
ということでCB²は松本山雅の何でも屋だとお考えください。もしこんな企画して欲しいなとかありましたら是非SNS上ででも呟いていただけたらと思います。
個人的な目標としては八木俊典に負けないくらい、自分も成長し、伝えていける存在になること。家族にはちゃんと青椒肉絲と言えるものを食べさせてあげられるようにがんばること。
そして、松さんの松本山雅を全国区にするっていう目標に皆さんと共に向かい、その先頭を走れたらと思います。
このようなご時世ですので体調に気をつけてください。皆さんにまた会えること嬉しく、そして楽しみにしています。
私の拙い文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
最後に、忘れてました。
松本よ!私は帰ってきた!」
飯田 真輝(Masaki IIDA)
【生年月日】 | 1985年9月15日(36歳) | |
【出身】 | 茨城県 | |
【競技歴】 | 2001~2004年 | 流通経済大学付属柏高校 |
2004~2008年 | 流通経済大学 | |
2008~2010年 | 東京ヴェルディ | |
2010~2019年 | 松本山雅FC | |
2020年 | FCマルヤス岡崎 | |
2021年 | 奈良クラブ | |
【通算出場記録】 | J1リーグ | 65試合 4得点 |
J2リーグ | 251試合 25得点 | |
JFL | 111試合 13得点 | |
Jリーグカップ | 5試合 0得点 | |
天皇杯 | 18試合 3得点 | |
【ライセンス】 | 日本サッカー協会公認 C級ライセンス |